石狩川の歴史

時代を切り開いた多目的ダム~桂沢ダムと金山ダム~

2017年(平成29年)は、1957年(昭和32年)竣工の桂沢ダムが60周年、1967年(昭和42年)竣工の金山ダムが50周年を迎える記念の年である。

先駆をなした2つのダムの功績を振り返る。

桂沢ダム

桂沢湖周辺は石炭層とアンモナイトを含む地層が分布する ジオパーク(空知総合振興局そらち道草写真館)
桂沢湖周辺は石炭層とアンモナイトを含む地層が分布する ジオパーク(空知総合振興局そらち道草写真館)

金山ダム

水辺レジャーのメッカで、幻のイトウが棲むかなやま湖。
水辺レジャーのメッカで、幻のイトウが棲むかなやま湖。

桂沢ダム ~石狩川水系総合開発の出発点~

桂沢ダム建設の経緯

桂沢ダムは、すでに明治末期に、通信省が発電ダムとして実地調査を行っており、かなり以前から構想があった。戦後、重要な国家的課題として北海道の開発計画がクローズアップされ、中断していた桂沢ダムの計画は、昭和21年に早くも動き始めた。治水と利水を合わせた河川総合開発事業として、昭和26年に着工した桂沢ダムの建設を中心とする幾春別川総合開発事業は、北海道で初めてのものとなった。この当時は、昭和25年に北海道開発法が制定されて北海道開発庁が発足、26年には北海道開発局が設置され、桂沢ダムの建設を担うこととなった。また、北海道総合開発第1次5カ年計画(昭和27年~31年)では、桂沢ダムの早期完成が目玉プロジェクトの一つとなっている。幾春別川の氾濫防止、空知川の支流の芦別川からの導水も含めた水力発電、石狩川中流部の農地開発に伴う農業用水及び岩見沢市等への水道用水の確保を目的とする幾春別川総合開発事業には、大きな期待がかかっていたのである。桂沢ダムが完成する昭和32年には特定多目的ダム法が制定され、北海道開発局が建設する金山ダム以降のダムは、夕張シューパロダムを除き、同法に基づいている。時代が大きく変化するまっただ中に作られた桂沢ダムと言える。

当時の最新技術を駆使

幾春別川総合開発事業は、幾春別川に建設する桂沢ダム、空知川支川の芦別川に建設する芦別ダム及びキムン芦別川に建設するキムンダムの3つのダムと、キムン支水路、芦別水路の2つの水路、熊追発電所、桂沢発電所の2つの発電所から構成されており、石狩川の主要支川である幾春別川と空知川にまたがるプロジェクトになっている。

また、芦別川の調査が終わっていない段階の昭和26年度予算要求となり、調査の進捗している幾春別川を先に施工し、芦別川の調査は引き続き行うこととされた。当時の切迫した状況を物語る。芦別川の調査は昭和28年まで継続され、調査結果に基づいて、桂沢ダムの嵩上げ等の大きな計画変更が昭和29年に行われている。また、農業用水として水田の生産効果をできるだけ高めるため、貯水池からの取水にあたり、北海道で初めてとなる多段ゲートを用いた表面取水方式が桂沢ダムで採用された。桂沢ダムでは、コンクリートに関する試験はセメント試験から現場供試体試験まですべて直営で実施、さらにグラウトについても両岸付きの仕上げ補強カーテングラウト以外は純直営工事で行われたとされており、時代を感じさせる。

次の時代への新桂沢ダム事業

現在、より高い治水と利水機能を求め、桂沢ダムを嵩上げして貯水容量の増大を図る再開発事業が進められている。戦後の混乱期、技術的にも手探りの中で工事を進めた桂沢ダム。幾多の労苦を乗り越えてきたこのダムは、新桂沢ダムとして生まれ変わる。

岩見沢公園展望台より田園風景を望む(空知総合振興局そらち道草写真館)
岩見沢公園展望台より田園風景を望む(空知総合振興局そらち道草写真館)
人力作業も多かった大工事(桂沢ダム写真集)
人力作業も多かった大工事(桂沢ダム写真集)


■ 桂沢ダム諸元

桂沢ダム諸元
画像:北海道開発局

桂沢ダム管理支所:三笠市桂沢 

Tel 01267-6-8272

《桂沢ダム》

型式:重力式コンクリートダム 

高さ:63.6m  堤頂長:334.25m

堤体積:350,000m3 

流域面積:幾春別川151.2km2・芦別川147.5km2

《桂沢湖》

湛水面積:4.9km2 総貯水容量:92,700,000m3 

有効貯水容量:81,800,000m3

《利用目的》

洪水調節・かんがい・上水道・発電

《幾春別川流域市町村》

三笠市、美唄市、岩見沢市


金山ダム ~ダムを活かしたまちづくり~

珍しい中空重力式ダム

石狩川最大の支川である空知川上流に位置する金山ダムは、昭和34年に実施計画調査に着手、昭和37年3月に本体の基礎掘削を開始し、昭和42年に竣工した。金山ダムは、全国でも事例が少なく、北海道では唯一の中空重力式ダムである。中空重力式ダムというのは、ダム本体内部が空洞になっているもので、この当時はコンクリート価格が高騰しており、コンクリート量を節減するために、この型式が採用されたと言われている。一方で、中空重力式ダムは施工が複雑になるといった課題があり、最近では使われていない。

地域とともにアウトドア拠点を創出

金山ダムが建設された南富良野町は、金山ダムとダム湖(かなやま湖)の観光資源としての価値を高く評価し、かなやま湖を中心とする豊かな大自然を背景とする観光開発を将来の町発展のための重要施策と位置づけて、昭和42年から平成12年まで、ダム堤体付近等の整備を独自に進めた。

 

一方、国は、金山ダム完成から 13 年後の昭和 55 年から平成 5 年まで、ダム周辺環境整備事業を実施。

 

平成5年には地域に開かれたダムに指定し、平成8年から平成 15 年までダム湖活用環境整備事業を実施した。

 

そして、ログハウス村やキャンプ場、展望公園にラベンダー園、人工ビーチなど、自然環境を活かした憩いの場がここに創出された。

ハードとともに、地元アウトドアクラブ等が季節に合わせ多彩なメニューを提供し、ソフトの充実も図っている。

 

治水・利水に環境を加えた平成9年の河川法の改正のずっと前から、国と町とが一緒になって環境を創り上げた全国に誇る事例である。

建設中の金山ダム(北海道開発局)
建設中の金山ダム(北海道開発局)

洪水調節で下流を守りきる

平成28年8月、北海道は大雨が続き甚大な被害を受けたが、金山ダムの洪水調節操作で、下流域の被害は低減された。8月22日から23日の台風9号による降雨では、金山ダムと滝里ダムにより赤平市の水位を約3.0m、8月29日から9月1日の台風第10号による降雨では、既往最大の流入量を観測したが、金山ダムにより富良野市の水位を約2.3m低減させる効果があったと推測される。この活躍により、金山ダムは全国のダムマニアが選ぶ「日本ダムアワード2016」の大賞と洪水調節賞を受賞した。


■ 金山ダム諸元

かなやま湖畔キャンプ場(画像:南富良野町振興公社)
かなやま湖畔キャンプ場(画像:南富良野町振興公社)

金山ダム管理支所:南富良野町字金山

Tel 0167-54-2131

《金山ダム》

型式:中空重力式コンクリートダム

高さ:57.3m  堤頂長:288.5m

堤体積:220,000m3 

流域面積:470km2

《かなやま湖》

湛水面積:9.2km2

総貯水容量:150,450,000m3  

有効貯水容量:130,420,000m3 

《利用目的》

洪水調節・かんがい・上水道・発電

《空知川流域市町村》

赤平市、芦別市、富良野市、上富良野町、中富良野町、南富良野町


*参考資料:石狩川治水史、北海道開発局ウェブページ石狩川治水史、北海道開発局・金山ダム湖活用環境整備事業の事後評価の報告